うみなりブログ。

アラフォー腐女子が、BL要素のある文学作品をイラスト付きでゆるく紹介します。日本近現代文学が中心。BL・同性愛的な表現が苦手な方はお気をつけ下さい。

川端康成「當用日記」② (「少年」⑥)

川端康成先生「少年」の記事、6回目です。

「少年」に関連しそうな記述のみを「當用日記」より抜き出しています。今回は②ですので未読の方は①からご覧下さい。

川端康成「當用日記」① - うみなりブログ。

ところで、ここまで川端先生関連の他の本なども読んできましたが、「少年」内の最大の謎は解決できてません。それは「清野」が「せいの」なのか「きよの」なのか。川端先生の書いたものには全くルビがふってありません。もうじき届く清野少年関連の論文や本を読んだら解決するかな…。もしそこにルビがあればそれに従おうかと思います。

以下川端先生の中学生の時の日記です。同性愛的記述があります。

5.7.5(水)

室員竹内(※のことを)森君にこの学期始めにきいたのだが、小便が近いたれ流しである。気をつけてみるとその時も布団は悲惨な状だつた。それからあんまりしくじるのを見なかつたが此頃になつてから著しい。他の室員にも知れた。畳に大きく布団の青があつた。また一所ふえた。廊下通つて気つけるとくさい。今日みると殆んど六畳の間白い粉がふき出てゐる。こんな境遇の下によく共同生活がしてゆけると怪しむ。畳に印せられたのはどうしてもとりかへす事は出来ない。何となくいぢけてゐるし、夜なども一人離れて床をとらすのは気の毒だが、矢張り茶はガブガブ飲む。幾枚も毛布を重ねて上にねてゐてもしくじつた。朝は早くから一人目覚めて片づけてゐる。共同生活に堪へる心が怪しむと共にいじらしいのよりも、にくにくしい。

※竹内(⑤杉山)…。今の高校生くらいの年の子がしょっちゅう寝小便って、本当に困ったものですね…。

5.7.7(金)

放課後寄宿舎大掃除。畳をたたく。疲れた様な身体を横へたまま夕飯となる。宮田と竹内殊に反目の毛嫌いが目にみえる。どうも宮田といふ奴は少々困つた奴だ。妙な真理を持つてゐる。併し誰にも好かれない事は明々白々の事実だ。

5.7.16(日)

森君来る。話す。森君の室にゆく。話す。散歩す。話す。足立にゆく。話す。多くは稚児の事だつた。私は素知らぬ顔をしてゐるので、至極無欲者らしく黙る。通学生から舎生に色々花が咲く。此中学に一層盛になつた男色殊に寄宿舎になどそれがないのを不思議に云ふ。何となくこの時代を事なく過すのも惜しいけれど、半夜宮田の裸の肉に起き上る事もある。まとめる程のローマンスもなかつた。

※宮田(③垣内)…。

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↑は「給仕の室」の鈍太ちゃんをイメージして描いた妄想の絵ですが、宮田は頻繁にこのような状態で寝ていたものと思われます。(まさかこの絵が別記事で役に立つことになるとは思わなかった…。)ここまでの日記で割と言及されていることから、川端先生のムラムラさせられっぷりが半端ないことが伺えます。

5.7.17(月)

宮田小笠原竹内に展ける状態割合によし。室も先よく治めれる前兆だらう。

5.7.22(土)

宮田を忘れる事が出来なかつた。あんな虐げによつて生まれた本当にいじらしい者として。愛人を強く素肌に抱擁しつつ息づまらせて悶死させるのを、極りなく快い事としてシヨツクを喜ぶ様な悪魔的の私は、あの肉体の苦痛の下にある宮田を其時は大変人情的な私に堪えなく見えたのに、後からは自分の物になりさうに浮んだのだつた。皆散じた後にゾツクリ汗にぬれた肉を負ふて階を下り、冷水浴場に待つてゐて又腕にしつかり抱へて帰つたのが一層忘れられない者にした。帰省する時も車の上汽車の中に絶えず宮田に書くべき手紙の慈愛にこもつた言葉を考えへ続けた。津之江の宅にて様々終へた。原稿紙五枚の愛人に書かうとする様なのをなるべくさけつつ続けた手紙を入れる用意で袂に入れたのが高槻 つづく

5.7.23(日)

停車場途中に落し、いらいら腹立たしい心で逢ふ人毎に尋ねて嘲笑を甘んじながら津之江まで帰つた。

※その後無事に見つけて送ることが出来た様で、同日の日記の末尾は「<発信>宮田正一」になってました。

この宮田の事件は、例の31枚の作文ラブレターに「お前はあの七月の晩の垣内を覚えてゐるか。」の部分から言及されています。

大正5年の「當用日記」はこの月で終わっています。あと、「文章日記」「生徒日記」「ノート」等がありましたが、「ノート 二」に宮田に送ったと思われる長文の手紙の草稿のようなものが載っていました。あと「[小笠原義人に][幸福なお若い燕さん]」とありましたが、それ以外に第五室や室員に関する記述は無さそうでした。(見逃していたらすみません)

ここまでの日記では、竹内→寝小便が困る、宮田→ムラムラさせられて困る、みたいによく言及されていますが、小笠原さんについてはあまり記載がないですね。あんまり困った要素もなく比較的安心できる室員だったんですかね。「幸せなお若い燕さん」ですし。

これ以降の大正5年の日記は9月から再開されていますが「少年」に転記された後、処分されてしまったようです。

大正6年以降の日記も写したかったのですがちょっと長くなってきましたので、また別記事にします。

川端康成「當用日記」③ - うみなりブログ。

 

垣内についてまとめました。(2023.1.15)↓

垣内少年(川端康成「少年」㉖) - うみなりブログ。

 

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