うみなりブログ。

アラフォー腐女子が、BL要素のある文学作品をイラスト付きでゆるく紹介します。日本近現代文学が中心。BL・同性愛的な表現が苦手な方はお気をつけ下さい。

小泉君の本名(川端康成「少年」⑭)

ようやっと小泉君の本名が判明しました!

とても嬉しいので記事にします!

小泉君って誰?と思われたかもしれませんが、また川端康成先生「少年」の話題です。14回目の記事だと思います。今のところこのブログはほぼ毎日更新していますので、私はほぼ半月に渡って清野少年について語っている計算になります。頭がおかしいです。

「え?まだネタあるの…?」と思われた方、私自身が「え?まだネタあるの…?」と驚いていますので、貴方の戸惑いはごもっともでございます。

前回の記事↓

清野少年関係の論文を取り寄せた顛末② - うみなりブログ。

「少年」関連未読の方はこちらからどうぞ↓

川端康成「少年」① - うみなりブログ。

小泉君は川端先生や清野少年と茨木中学の寄宿舎で同室だった人物です。

川端康成先生「少年」は「川端康成全集 補巻一」(新潮社、1999年版)の「當用日記」と一緒に読むと非常に楽しく色々理解も深まるのですが、中途半端にしか収録されていない為大正5年は7月までしか掲載されていません。

で、垣内の退学した後に来た室員である小泉に関しては恐らく9月に同室になっていることから記載がなくて、照らし合わせることが出来ずに本名が不明でした。

やっぱり小泉って誰…?垣内とか急に言われても分からん!な方はこちらをご覧ください。小泉は④の人物です。↓

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丸数字に対応して登場人物紹介の記事に詳しく人物の解説がありますので、未読の方はまず↓をご覧いただければと思います。

川端康成「少年」の登場人物(相関図付き) - うみなりブログ。

結論から申しますと、小泉の本名は「山口」です。下の名前は「丈三」だと思うのですが、確証がありません。とりあえずこれで川端室員の本名が全員判明したことになるので、感無量です。室員の中で小泉一人だけ名字すら分かって無かったので、少々気持ちが悪かったのです。

①宮本=川端康成

②清野=小笠原義人

③垣内=宮田正一

④小泉=山口(丈三?)

⑤杉山=竹内寅太郎

でございます。

だから何なんだ…。

ハマったから、こういう何の役にも立たないどうでも良いことまで知りたい!只それだけです。それがオタクって奴です。このブログは多分そんなどうでも良い知識のみで今後も構成されて続けていきます。実は⑥の大口の本名も探しはじめています。ある程度まで絞れましたが、小泉よりもヒントが乏しいので難航しています。(⑫の上島に関しては学年すら分からないので無理です。)

小泉の本名が判明した経緯を一応書きたいと思います。

「新潮日本文学アルバム」という写真がたっぷり載っている作家ごとに解説された本があります。そちらの川端先生の本に、「少年」に使われた日記の写真が少しだけ載っていました。

大阪府立茨木中学校の原稿用紙に書かれた大正5年11月23日のものです。「少年」内だと、清野少年と同性愛関係になった後初めて書かれた日記として紹介されていました。

「少年」に転記された日記は全て破棄したと書かれていたので、実物が見られるならどれくらい日記の内容が改変されているかを確認したかったのです。

平仮名が漢字にされてたり、少し語尾が変わっていたりはしましたが、内容は同じでした。

室員の名前も「少年」内では仮名ですので、実際の日記ではどう書かれているか気になっていましたがイニシャルで書かれていました。「O」=小笠原=清野、「T」=竹内=杉山は前もって分かっていましたが、小泉に対応する箇所が「Y」となっていました。

これだけではそれ以上は分かりませんが、実は私は当時の寄宿舎に居た人物の名字が分かるものも入手済です。

林武志先生「川端康成研究」(桜楓社)内の写真です。川端先生卒業時に撮影された寄宿舎の集合写真におそらく全員の名字が記載されています。

これで、Yに該当する名字が「山口」「吉川」「祐野」の3人に絞られました。このうちの誰かな…?という所で少し引っかかるものがありましたので、ここで再び「當用日記」を開いてみます。

5.6.21(水)

昨夜山口と云ふ杉本先生宅に下宿した少年が入舎した。私も眼の走つてゐる方なので私の室に来る事を望んだけれど四室となつた。室もまづまづよく行つてゐると云つてよからう。

小泉も川端先生のお気に入りの室員です。清野少年が不在の時には清野少年の代わりにされている愛人2号です。眼の走つてゐる川端先生にこの時点で狙われている山口がとても怪しいです。

更に思い当たる内容。

清野少年からの大正11年の最後の手紙に「上京している小泉と会うなら私も是非ご一緒したい」というようなことが書かれており、川端先生が大正11年頃にも小泉と交流があったことが分かります。

11.4.4

中学の友片岡末藤井上欠田清水小笠原山口等と今日心に殆無交渉なる感慨なきを得ず。現下石濱一人の如し。

川端先生の卒業後にも交流があった中学関係者の名前が書かれています。ここで出てくるYは「山口」だけです。清野少年の最後の手紙はこの日付の後なので、大分没交渉にはなっているかも知れませんが、もう山口で間違いないでしょう。

 

([※追記 2022.10.22]

中学の友、片岡(注。片岡鉄兵夫人の兄。)末藤、井上、欠田、清水、清野(注。仮名。)、小泉(注。仮名。)等 (「川端康成全集第33巻」(新潮社、1999年版)「独影自命」より)

「独影自命」で「山口」の部分が「小泉(注。仮名。)になっていたので、完全解決しました。)

 

また、大正7年の日記の手紙の記録にたまに「山口丈三」とあるので、下の名前は丈三なのかもしれませんが、この人物が中学関係者の山口と同一人物かどうかまでは確証がありません。

⑤の杉山に関しても「竹内」までは分かっていて下の名前が分かっていなかったのですが、

9.3.11(木)

竹内より手紙。もとの懐しい室長さん使ひにされるけれど、どうも返事を書きながらも、慕はしい心地がそつくり来ない。

の後によく読んだら「竹内寅太郎より来信」と書かれていたので、竹内は間違いなく寅太郎だと判明しました。

という訳で、小泉の名字は山口、下の名前は恐らく丈三だと判明し、とてもスッキリしました!

ただそれだけです!

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