うみなりブログ。

アラフォー腐女子が、BL要素のある文学作品をイラスト付きでゆるく紹介します。日本近現代文学が中心。BL・同性愛的な表現が苦手な方はお気をつけ下さい。

川端康成「當用日記」⑤(川端康成と石濱金作④)

石濱金作先生の手記「無常迅速」から川端康成先生と石濱先生の関係を見てみましたが、今度は川端先生から見た石濱先生についてを、以前から当ブログで引用されまくりの川端日記から探してみたいと思います。

タイトルは違いますがこちら↓からの続きとなっていますので、未読の方はこちらからご覧下さい。

石濱金作「無常迅速ー青春修行記」②(川端康成と石濱金作③) - うみなりブログ。

BL・同性愛の話題ですので、以下お気をつけ下さい。

探し始めたのは良いのですが、彼らはほぼ毎日のように一緒に居るので、有用性の高い内容の日記を探すのに非常に苦労しました…。

大正6年以降にはたまにしか登場しない清野少年は、ただ「小笠原」の文字を見つけるだけで良かったので非常に探しやすかったですYO…( ;∀;)勢い余って昭和19年(大正13年からいきなり飛んでいる為)の川端日記にも小笠原を見つけるくらいでしたが、小笠原諸島のことでした…( ;∀;)

苦労しましたがいくつか見つけましたので引用していきます。

(絶対に見落としている自信があります。もっと有用性の高い内容を見つけたらまた別記事にします。)

石濱がだんだん僕を離れて鈴木の方に傾いて行くらしい。僕も石濱とは一緒にゐないと変だし、一緒にゐるとその間五分の三位は不快なのだから、石濱が離れるのいゝとして、二人とはまるで本質的に異ふ僕が生活気分を合して行くのは、銀毛の駿馬を持ちながら人が栗毛の馬に乗るからといつて自分も栗毛の鈍馬に乗り、その間に白毛の駿馬は空しく廃馬になるやうなものぢゃないかと思つたりする。

(「川端康成全集 補巻一」(新潮社・1999年版)日記 大正9年3月17日より)

以前にも載せた日記ですが、川端先生が石濱先生との関係について思うところが書かれています。

 

私、以前に川端×石濱は相思相愛みたいに書いたんですけど、この日記も踏まえると相思相愛とはちょっと違ったんじゃないかと最近思うようになったんですよ。

川端←石濱は、「こいつは只者じゃない」という尊敬の念とか憧れが多く含まれた割とわかりやすい好意という感じがするのですが、川端→石濱はそこまで単純なものではなかったんじゃないかと。

まず、石濱先生は「伊豆単独旅行に出た川端の本当の孤独をその時には理解していなかった」と述懐しています。

肉親を全て失って孤児根性に苛まれている川端先生と、肉親が健在な石濱先生。

本当の孤独を理解することは、どう頑張っても不可能ではないでしょうか。

そして、写真見ましたが石濱先生は結構イケメンです。かたや川端先生は自分の容姿にかなりのコンプレックスを抱いています。

あくまで私の想像ですが、もしかしたら、「石濱は自分の持っていないものを全て持っている」などと羨むようなこともあったかもしれません。

セメントかガスかの会社の社長から独り娘の養子に石濱を貰いに来てゐることだつた。娘の子は十四で素晴らしく美しく、家は有福で生活の心配はないとのこと。しかし日曜に石濱は正式でなくとも断つたのださうだ。可成り詳しく色んな事情をきいた。私は石濱に勧めた。羨望のあるのは勿論である。

(「川端康成全集 補巻一」(新潮社・1999年版) 當用日記 大正7年2月21日より)

↑状況が状況ですが、一応こちらにははっきり「羨望」と書かれていますね。

 

大正7年1月の川端日記に、二人が既に倦怠期カップルみたいになっている様子が書かれていて、

石濱と歩く時何時も終りにつまらない、たいくつな寧ろ腹立たしい感じを與へられる。けれども私には石濱が必要だし彼には私が必要なのかも知れぬ。

(「川端康成全集 補巻一」(新潮社・1999年版) 當用日記 大正7年1月25日より)

とあります。共依存…?

あれ?何か、白樺派の某小説の神様とS先生のところで散々見たやつに似てないか…?凄いデジャヴが。。。

大正6年9月に入学、10月から二人は親しくなるのですが、大正7年1月だとまだ3ヶ月くらいしか経ってないのですよね。それなのにこの倦怠期っぷり。

上の大正9年の日記でもそんな感じですし、割と惰性で付き合っていた面もあるのかも…?と思いました。

(※ただ、上の羨望云々の日記の前に

往復石濱は実によく談じた。全く私は独演会だと云つた。狂に近いまでの勢でしやべり続けるのには驚いた。途方もない饒舌だけどそれから纏まつた石濱が感じられないこともない。兎に角石濱もニ三の友達が私にするやうに何でも打ちあけるやうになつた。

(「川端康成全集 補巻一」(新潮社・1999年版) 當用日記 大正7年2月21日より)

と書いてありますので、完全に打ち解けて仲良くなったのは大正7年2月頃という感じなのかもしれないです。あと、関係ないですけど「纏まつた石濱」っていう表現がなんか良いですね。)

まぁいくら仲が良くても適度に距離を置かなければこんな風になってしまうのも無理ないと思いますけどね。

毎日のように、石濱が来た、石濱に会った、石濱と飯食った書いてますからね…。五分の三は不愉快になるのに、どんだけ一緒に居るの…?

あれ?何かこれも、白樺派の某小説の神様とS先生のところで見たやつな気が…?凄いデジャヴが。。。

共依存腐れ縁ブロマンスな二人組が増殖してしまいましたよ…。

もう1組を未読な方はこちらをどうぞ↓

里見弴「君と私と」①(相関図付き) - うみなりブログ。

 

石濱先生は川端先生のことが間違いなく大好きだと思うのですが、手放しで褒めちぎったりしている訳ではなく、書いた小説をしっかり批評したりして川端先生をムッとさせているような場面が日記にいつくかありましたので、共に文学を志す仲間として良い相棒だったのではなかったかと思います。実際にその腹立たしさを燃料に「今度は見てろよ!」と力作を書いたりしていたみたいです。

そういうところからも二人は末永く親交を続けているので仲が良い友達なのは間違いないのですが、単純に川端×石濱の仲良しこよしのブロマンスとして片付けて良いのか、ちょっと考えてしまいました。

 

川端←石濱…憧れが多く含まれている好意+独占欲

川端→石濱…依存心、嫉妬心、好意その他もろもろ含まれる複雑な感情

という感じですかねぇ。

(作家として段々実力も知名度も大きく引き離されていくので、川端←石濱にも嫉妬心のようなものはあったのだろうと思うのですが、とりあえず「無常迅速」ではあまり感じられなかったのですよね〜🤔)

 

この辺をほじくりかえして創作したら、山場のある良いBLストーリーになりそうですけどね!

ところで、「お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。僕はお前を恋してゐた。」の清野少年への31枚の作文ラブレターなんですが、大正7年3月に一高の教室で今井彦三郎教授によって披露されているらしいのですよ。

先程書きましたが、大正7年2月に既に石濱先生とは完全に打ち解けて仲良くなった挙句に共依存になりかけているはずなので、一体石濱先生はこれをどんな気持ちで聞いたんだろうな、とかそういうエッセンスを入れても創作が捗ると思うんですが…!!どうでしょうか…!!(どうと言われても…)

残念ながら、大正7年は2月までしか日記が残っていないので、読まれた時に周りがどんな反応をしたとかは一切分かりません。

2月に作文を書いた時のことも見つけましたので、ついでに引用しておきます。

青木さんの作文の題に「冬より春へ」と「東京」と二つでたので一つ冬より春へに去年の正月から中学卒業までを書かうかと思つたけれど馬鹿々々しくなつて小笠原への手紙位にお茶を濁さうと思ふ。

(「川端康成全集 補巻一」(新潮社・1999年版) 當用日記 大正7年2月18日より)

と載っています。

お茶を濁す感覚で書いたのに31枚の5章(※まず手紙で「章」があるのが凄い。)以上ある超大作になってるのって、どういうことだってばよ…!

 

ちょっと横道にずれました。

さて、川端→石濱について書かれたものを日記以外にも見つけましたので、ちょっと引用したいと思います。

私はオペラ女優にあこがれて浅草通ひをし、なにをするにもいつしよだつた石濱金作氏もひきずりこみ、

(「川端康成全集 第33巻」(新潮社・1999年版)「文學的自敍傳」より)

 

なにをするにもいつしよ…(*´Д`*)

 

私の裏町好みの共犯者は、石濱金作氏であつた。一高に入学すると直ぐから結ばれた石濱氏との交友は、全く共犯者といふ言葉しかないやうな深入りであつた。書くこと多過ぎて書く気にもなれぬ。二身一体の因果者のやうに、相手が鼻につくことが自己嫌悪と同じに近い友人だつた。学生の頃の石濱氏は花やかに明るく、当時流行のロシア文学や「白樺」、「新思潮」(菊池氏、久米氏、芥川氏等)の作家を語る文学談は、田舎出の私を目覚めさせるところが多かつた。

(「川端康成全集 第33巻」(新潮社・1999年版)「文學的自敍傳」より)

「書くこと多過ぎて書く気にもなれぬ。」うおおー、書くネタいっぱいあるなら他にも色々書いて下さいよー( ;∀;)!

なにをするにもいつしよ、共犯者、深入り、二身一体…行間からの溢れんばかりのブロマンスな気配。

まぁ、上に色々と書きましたが、川端先生も石濱先生のことが大好きなのは間違いないでしょうね。

 

他にも語っておられるものがないか、今後も追跡調査は続けていきたいと思います。川端←石濱についても、他に語っているものがないか探しまくりますよ!

 

※追記・続きました↓

石濱金作「交友記、戀愛記」(川端康成と石濱金作⑤) - うみなりブログ。

 

ところでですね…、上の「文学的自叙伝」を探している時にですね、見つけてしまったのですよ、このような記述を。

部屋一つしか明いていない。(中略)

横光と僕同じ床にもぐり込む。ダブルベツドなれど男二人には狭し。彼、蒲団を沢山僕の方に寄越して、他愛なく眠りに落つ。健やかな寝息にてフウフウ僕の頬を吹く。僕それが寒くて眠れず。

(「川端康成全集 第33巻」(新潮社・1999年版)「獨影自命」より)

同衾 with 横光利一

泊まりに来てダブルベッドのある部屋が一部屋しか空いていなかったが為に一緒に寝る羽目になるという、超ベタな黄金パターン…!BL漫画以外にこんな展開が実在しただなんて…!

清野少年、石濱先生に続いて横光先生とまで、川端先生は少なくとも3人の男と同衾した経験がある訳ですね!

こりゃいずれは横光先生との関係についても調査しなきゃならんですね…。

よこばた、もしくは、かわよこファンの方、いらっしゃいましたら情報お待ちしております。

 

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