うみなりブログ。

アラフォー腐女子が、BL要素のある文学作品をイラスト付きでゆるく紹介します。日本近現代文学が中心。BL・同性愛的な表現が苦手な方はお気をつけ下さい。

石濱金作「交友記、戀愛記」(川端康成と石濱金作⑤)

一高時代から親友で「なにをするにもいつしよ」な二人、川端康成先生と石濱金作先生の関係を語るシリーズ第5弾。

前回はこちら↓

川端康成「當用日記」⑤(川端康成と石濱金作④) - うみなりブログ。

①はこちら↓

県立図書館はパラダイス①(川端康成と石濱金作①) - うみなりブログ。

BL、同性愛の話題です。以下お気をつけ下さい。

以前、石濱先生から見た川端先生との関係については「無常迅速ー青春修行記」という作品の感想で語りました。

石濱金作「無常迅速ー青春修行記」①(川端康成と石濱金作②) - うみなりブログ。

簡単に説明しますと、「石濱を嫁にしたいと言っている川端×川端に恋する乙女と化している石濱」という、川端×石濱の教科書みたいな回顧録でした、ご馳走様です(ものすごく乱暴な説明)。

今回何と新しい教科書を入手することに成功しましたので、ご紹介したいと思います。

 

「交友記、戀愛記」。

以前公開した石濱先生の著作リストにも載っていない作品です。

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大正12年10月の「新思潮」(第六次)に掲載されている、5ページ程の短い随筆です。

当然ながら、再録なんて何処にもされていません。

なんてったって、石濱先生の著作リストを纏める時にベースにした「日本現代文学全集 第67巻 新感覚派文学集」(講談社、1968年)の石濱年譜にすらタイトルが載っていないのです。

私がこの作品を入手した経緯などについては後で纏めますので、万が一読みたくなってしまった方がいらっしゃいましたら是非この記事の最後まで読んでみて下さい。

 

さて、入手経緯について書くと長くなりますので、先に内容を見てみましょう。

 

まず石濱先生の中学時代の思い出が綴られています。

石濱先生は弁論部のエースで全国弁論大会に学校代表として出場したこともあるという、スクールカーストの上位に属していそうな中学時代を過ごしています。しかし、友人もちゃんと居たのに憂鬱に孤独に過ごしていたとのこと。思春期特有のメランコリックさが感じられます。

その憂鬱さ孤独さが解消されたきっかけは、川端先生との出会いでした。

川端先生との出会いによって、人生が一変し、明るく楽しいキャンパスライフを謳歌する石濱先生。

それまであまり仲良く話をしてこなかった実の兄とも仲良く話をすることが出来るようになる程の絶大な効果を発揮しています。

…なんか宗教にハマった人みたいな説明になってしまっていますが、本当にこんな感じのことが書いてあります。

_人人人人人人_
> 川端教  <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄

(違)

や、清野少年も帰依していることだし、川端先生が本気になったら普通に教祖になれそうな気がする…。

 

川端康成は友人以上の位置を取つてゐる。彼によつて私は私の目を開かれたやうなものである。私の目を見るところには必ず彼がその目鏡となつてゐる。かくて、彼は私の心につきすぎてゐる。彼があれば私には心の不足がない、その気持ちが私に真剣な恋をさせないーさういふ考へである。

その頃私は幾人もの女性に交際つた。それに対する私の心はすべて遊びの気持であつた。私には川端康成がある。故に心の餓がない。

 

「私には川端康成がある。故に心の餓がない。」

…。

「私には川端康成がある。故に心の餓がない。」

…!!

もう、もう…!

「無常迅速」は20ページくらいのそこそこ濃い回顧録なんですが、たった5ページでそれを上回るようなこの濃さは、その関係性が現在進行形か否かの違いですね。

 

川端は私にとつて恋人の位置と親の位置をとつてゐた。彼によつて私は人生を見る目を教へられたのだ、彼は私の自覚の母だといつていい。

 

そして、余りにも川端に依存し過ぎた為に、このままでは自分が駄目になってしまう。そろそろ友人関係を見直す時期に来たようだ、と最後に纏められています。

 

川端と石濱の関係について、過去4回に渡ってあれやこれや語りましたが、いや、もう、これは考察するまでもないような内容ですな。

 

途中の展開を掻い摘んで書くと、

「何人も女性と交際したが、川端が居るからそれで心が満たされて、いつも真剣になれなかった。
恋愛していた時に一番楽しかったのは、デートして帰った後に寮で川端とそのことを話す時だった。」

ということまで言っています。

いや…ちょっと…石濱先生…、それは別に恋愛を楽しんでいる訳ではないですよね…(;´д`)

この時点で石濱先生が相当キテてヤバい域に達してしまっていると思うのは私だけでしょうか…(;´д`)

 

「無常迅速」では川端先生に対してどう思っていたかははっきりと書かれていなかったのですが(もし書かれていたならとっくにネタにしています)、今回こちらを読んで、とりあえず石濱先生が川端先生のことを意味深に大好きだったということが痛い程よく分かりました。恋人の位置を取っていたとはっきり書いていますし…。

以前に書いた私の戯言(石濱③の抜粋→「川端先生と仲良くする(意味深)のに忙しくて女性と恋愛する暇なんてなかったんじゃ…とか邪推したくなります。」)がドンピシャで当たっていましたよ。マジか…。

 

それにしても、相手も一緒に作品を掲載している雑誌に載せるって一体どういうことなんでしょうか。

そして、川端先生はこれを読んで一体どういう反応をしたんでしょうか。

ツッコミ処と気になる点が多すぎるわ!!

(ノ ゚Д゚)ノ ==== ┻━━┻

 

真面目に何故そうしたかを考えますと、川端先生との関係を精算する為の決意として、あえてそうしたのではないのでしょうか。

里見弴先生も志賀直哉先生に色々と赤裸々に書いた作品を見せていますが、もしそうだとしたらなんかちょっと似ているなぁとか勝手に思いました。

まぁ、これが書かれたのは大正12年で、大正14年には二人きりで温泉に長期滞在したりしてます(石濱金作「温泉雑記」(『文藝時代』大正14年10月)参照)ので、それまでの強烈な依存ぶりが精算出来たのか出来なかったのかは結局良く分からないです。

大正14年の時点では石濱先生は結婚した後なので、川端一色の生活からは流石に脱却しているみたいですが、「妻の所に帰りたくなくて川端と温泉に長期滞在している」みたいなことも書かれていて「あぁ、もう…!一体なんなんだ…!!(良いぞ!もっとやれ!!)」ってなっています。

 

長くなりますが、一応入手経緯を。

内容については上で語ったことが全てです。今回はこれ以上の川×濱情報は出てきませんので、興味のない方は解散して下さい。

 

最近借りた本の一冊に長谷川泉先生「川端文学への視点」(明治書院、1972年)という本がありました。川端先生と長谷川先生が、川端先生の若い頃について語る対談が収録されています。

対談以外にも色々興味深い内容が書かれており、その中で断トツで興味を惹かれたのが今回のタイトルになっている石濱先生の「交友記、戀愛記」でした。

長谷川先生の抜粋を読んで、どうしても全文が読みたくなりました。

 

ところで、第六次「新思潮」は国立国会図書館には所蔵がありません。

把握している範囲内では

日本近代文学館

神奈川近代文学館

東京大学大学院法学政治学研究科 附属近代日本法政史料センター (明治新聞雑誌文庫)

にしか所蔵が無い貴重書です。復刻版も探した限りではありません。万が一復刻版の存在をご存知の方はご一報ください。

しかも全何号出ているのかすら謎ですので、上記の所蔵館にも全号あるのかどうか…。

恐らく冊子形式で出版されたものは日本近代文学館に所蔵されているものが全てではないかと思うのですが、いかんせん謎が多過ぎます。

とりあえず、日本近代文学館のサイトに図書雑誌所蔵検索がありましたので検索してみました。

ピンポイントで大正12年10月号がありました!

ヽ(´▽`)/

2022年4月2日から日本近代文学館では「川端康成展」が開催されていますが、開催を知った時からコロナが収まったら行こう行こうと待ち構えていまして、「よっしゃ!川端展のついでに閲覧室に寄ってコピーを取ろう!楽しみだなぁ」などと一瞬考えましたが、駄目!もう無理!待ち切れない!!と堪え性のない性格が爆発しました。

幸いなことに、日本近代文学館では遠隔複写サービスがあるのです。しかもサイトの申し込みフォームから3件まで申し込めるというお手軽設計。

気が付いたら申し込みが完了していました。

因みに、後日同じく遠隔複写サービスをコピー単価半額で行っている神奈川近代文学館にも同じ号があることが分かり後悔するというオチが付いています涙。

どっちもコピー代+送料+振込手数料で送ってくれますので、神奈川近代文学館に依頼した方が安価に取り寄せできます涙。

両館共、閲覧室があってそちらで直接コピーを取ることも出来るようです。

興味がある方はどうぞ近代文学館で第六次「新思潮」に当たってみて下さい。

 

また他のネタも仕入れつつありますので「川端康成と石濱金作」は、次回ではありませんがそのうち⑥に続きます。

良かったら引き続きお付き合いいただけますと嬉しいです。

 

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