うみなりブログ。

アラフォー腐女子が、BL要素のある文学作品をイラスト付きでゆるく紹介します。日本近現代文学が中心。BL・同性愛的な表現が苦手な方はお気をつけ下さい。

「少年」はフィクションか否か(川端康成「少年」㉑)

今日は川端康成先生の50回目の命日ということで、いつも以上に川端先生に思いを馳せています。

とりあえず内容は恒例の川端康成先生の「少年」関連記事です。

㉑になりました。せっかくなので㉚を目指して頑張りますかね😇

BL・同性愛を主題にした作品について取り扱っていますので、以下お気をつけ下さい。

前回はこちら↓

新潮文庫「少年」(川端康成「少年」⑳) - うみなりブログ。

①はこちら↓

川端康成「少年」① - うみなりブログ。

 

新潮文庫の「少年」が発売されて少し経ちましたが、早速三刷まで増刷が決まったそうでめでたい限りですヽ(´▽`)/✨

もっと広がれ!「少年」の輪!!

 

さて、文庫化の影響は凄く、今まで殆ど新規には見かけなかった「少年」のフレッシュな感想が(とりあえずTwitter内では)激増して嬉しい限りなのですが、「少年」内に書かれている事は実際にあった出来事なのか?川端先生の創作や妄想ではないのか?という感想もちらほら見つけるようになりました。

 

結論としては、私は「少年」内の出来事は現実にあった出来事だと思っています。

 

以前にもバラバラに語ったり引用したことがある内容になりますが、この観点から纏めて語ったことは無かったので、今回は『「少年」はフィクションか否か』をお送りしたいと思います。

 

川端先生の様々な小説を読み込んだ方であればあるほど、「この形式には何か裏がある筈…一見したら創作では無さそうなのに実は全て創作だとしたら本当に凄いし、川端康成なら平気でそれくらいのことはやってのけそうである」と思う川端マジックに嵌っていらっしゃる印象を受けました。

 

因みに私は、高校生の時に初めて読んでから○○年経ちましたがフィクションであるとは一度も疑ったことがなく、川端先生は当時はこんな日記を書いて、こんな手紙をもらっていたんだな〜ウフフ( ´ ▽ ` )とか(何も考えずに)脳天気に読んでいました。川端作品もそんなに沢山は読み込んでいませんので、上に書いたような川端マジックに嵌らずに済んだみたいです。

 

別に川端マジックに嵌るのが良いとか悪いとかを言いたい訳ではありません。とりあえず自分が調べて分かった範囲内のことを纏めておこうと思っただけです。

もし全て創作だったら、という読み方も非常に面白いと思います。

ですので、今回はそんな読み方をして楽しまれている方に水を差してしまうかもしれません。

水を刺されたくない方はこの辺りでどうか立ち去って下さい🙇‍♀️

良いですかね?

 

さて、まずは「①作中に登場する日記が、実際に当時の物であるか」という観点から見ていこうと思います。

 

「少年」内では破棄されたと書かれていましたが、一般人でも見ることが出来る形式で1日分だけ残っていました。(2022年4月現在開催中の日本近代文学館川端康成展でも大正5年9月の日記も展示されているようなので、破棄されていなかった分は実際にはもう少しあるのかも知れません。)

「新潮日本文学アルバム〈16〉川端康成」(新潮社、1984年)に大阪府立茨木中学校の原稿用紙に書かれた大正5年11月23日の日記の写真が載っています。

文末や人名等が若干直されている以外は「少年」内に引用されている内容と同一でした。よって、少なくとも引用されている日記は当時の物であると思われます。(…戦後まで残っていた茨木中の作文用紙に創作した、というところまで疑われたら現時点では反論できるだけの材料がありませんが、普通にそんなことして一体何の意味があるんだろうと首を傾げます…。)

 

「②日記が当時の物なのは分かったけど、当時に創作した内容が書かれているのではないか?実際に清野少年とは本当にこんな関係だったのか?」と思われるかもしれません。

 

中学卒業後にも数年に渡って清野少年のモデルの人物が「少年」に書かれているのと同じくらいの親密さを持って度々日記に登場していることから、実際に清野少年とは「少年」に書かれているような親密な関係であったことが分かり、数年に渡って日記の創作をしていない限りは、当時の日記が「当時創作したものではない」ということも言えます。

詳しくは當用日記③の内容をご覧下さい。

川端康成「當用日記」③ (「少年」⑦) - うみなりブログ。

 

昨夜とひとしく古き日記出して読む。中学五年の時のもの最も多くあり。昨夜と同じく小笠原を思ふ。当時不純な気持ちもまじれる愛のやうに記しあれど、今の追想を以てすれば純美なり。孤児根性のことしきりに嘆きあり。想ふに小笠原との愛によりて、余が一転機を心に得たるは疑なし。

(「川端康成全集 補巻一」(新潮社、1984年) 日記 大正11年4月4日より)

↑「小笠原」が清野少年のモデルです。こちらは中学卒業後5年くらい経ってから書かれた日記ですが、そのまま「少年」の概要になりそうな記載があります。万が一中学時代に日記を創作していたとしても、いくらなんでも5年以上に渡って創作はしないと思われます。

 

続いて、「③清野少年のモデルについて」語りたいと思います。

清野少年のモデルは小笠原義人氏です。

林武志先生が直接取材し、「川端康成研究」(桜楓社、1976年)に収録されている「伊豆の踊子成立考」に纏めておられます。こちらの本の巻頭には小笠原氏の写真も3枚掲載されています。

「少年」内の出来事は実際にあったこと前提で書かれており真偽については特筆されていませんでしたが、

・川端先生の卒業後に寂しさを紛らわす為に、柔道と水泳に力を入れた。

・読むのに苦労するほどの原稿用紙に書かれた部厚い手紙が毎回届いた。

などと語っている内容からも二人が親密な関係であったことは間違いなさそうです。

 

「④日記が当時のものであることは分かったし、清野少年のモデルが居たことが分かったけど、こんな言動をするかやっぱり疑わしい。清野少年にどうも現実味がない。日記等に大幅な加筆修正がされているのではないか?」と考える方もいらっしゃるかもしれません。

上記の通り、日記は当時のもので、当時に実際に起こった出来事が記されていると思われますが、「新潮日本文学アルバム〈16〉川端康成」(新潮社、1984年)で見られる部分以外の日記や手紙の加筆修正を疑われたら現時点で反論の余地はありません。

また、あくまでベースは小笠原氏だとしても作中に描かれている「清野少年」には思い出補正が掛かって大分美化はされていると思いますので、ひょっとしたら3割増くらい美化されているかも…?そういう意味では清野少年は"架空の人物"と言って良いかもしれません。

 

加筆修正については正直分かりませんでしたが、①〜③の部分から、「少年」はとりあえずフィクションではないと言えるのではないかと思います。

 

そもそも、「少年」の元になった「湯ヶ島での思ひ出」は、"清野少年と踊り子の純粋な魂"に"孤児根性に歪んだ当時の川端先生"が救済される物語です。

伊藤初代という女性との失恋の痛手から立ち直る為に書かれた、書いた時点では発表を特に意識していない自分の為の作品です。(後に『文藝時代』に踊り子パートのみ「伊豆の踊子」として発表しますが数年後の話です。)

そこに事実でないフィクションを交えても虚しくなるだけで何の意味もなかったのではないかと個人的には思います。

まぁ「少年」を書いた時にはその当時程の感傷は無かったでしょうから、多少加筆修正したり脚色をしていてもおかしくはないかもしれませんが、概ね事実に則しているような気がします。

湯ヶ島での思ひ出」自体が残っていない為、実際に書かれたという想定になります。「湯ヶ島での思ひ出」の存在自体を疑われたら、私にはもう何も言えません。お手上げです。しかし、「少年」が一体何を書きたかったのか?という視点に立って考えれば上のような結論に結びつくのではないでしょうか。センセーショナルに同性愛の思い出を書き連ねたかっただけなのでしょうか?そんな訳ないですよね。

文庫版の宣伝は、川端先生と同性愛という組み合わせが物珍しく取り沙汰されてそこばかりがクローズアップされていますが、主題に立ち返ってみれば同性愛のくだりはただのおまけと言っても良いくらいなんじゃないかと思います。

清野少年とのあれやこれをニヤニヤ眺めて「萌え〜(*´Д`*)」とか言うだけのそんな単純な話ではないんです。(過去の自分への特大ブーメラン)

 

フィクションか否かという話題からはズレますが、美化、という単語で思い出しました。「少年」を読んで清野少年が美少年だったと勘違いされている方がやっぱり沢山いらっしゃいました。

 

夜なかに目覚めると清野のおろかしい顔が浮いている。どうしたって肉体の美のないところに私のあこがれはもとめられない。(「少年」文庫版p89)

 

と書かれています。いくらなんでも清野少年が美少年なら「おろかしい顔」とは書かないと思います。あと、他の美少年にははっきり美少年と書いていますので、もし美少年ならどこかでそう明記するんじゃないかと思います。

上記林武志先生の「川端康成研究」に小笠原氏の写真が載っているので、どんな顔なのか興味のある方は見てみて下さい。

見た上で、やっぱり美少年じゃん!と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、川端先生から見て「おろかしい顔」であり美少年では無かったのです。

それにも関わらず、川端先生が気になっていた数多の美少年を押し退けて清野少年(NOT美少年)の思い出がずっと心に残っていて、一本の作品として書いてしまうという事実が最高にエモくないですか?

「美少年だから清野少年が愛された」という訳ではないことが非常に尊いと思います。

 

なんかちょっと纏まりのない記事になってしまったような気がしますが、今回はこの辺りで。

 

50年も経ってこの言葉を使うのは適していないかも知れませんが、川端先生のご冥福をお祈りしています。

 

今日BSプレミアムで21時の「雪国」ドラマを皮切りに4番組連続で川端関連番組が放送されますので、楽しみです。

 

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