うみなりブログ。

アラフォー腐女子が、BL要素のある文学作品をイラスト付きでゆるく紹介します。日本近現代文学が中心。BL・同性愛的な表現が苦手な方はお気をつけ下さい。

第六次『新思潮』②

第六次『新思潮』の謎に迫る2回目です。

前回はこちら↓

第六次『新思潮』① - うみなりブログ。

この辺りの文学に詳しい方には当たり前のことしか書いてないであろう簡単な概要ですが、自分の備忘録を兼ねて纏めました。

○把握している号の目次等○

※ページ数は奥付に書かれているページを書きました。

①大正10年2月 第一巻第一号

※目次、奥付共に未入手(川端展で展示中なんよ…)なので定価とページ数は不明です。②の奥付に書かれていた内容によると掲載タイトルは以下の通りです。

姉妹  鈴木彦二郎

女人轉身  今東光

羊番と一頭曳  酒井眞人

痴人酔生  石濱金作

ある婚約  川端康成

 

②大正10年4月 第一巻第二号

定価50銭 80ページ

再會  酒井眞人

今はむかし  石濱金作

招魂祭一景  川端康成

死別  鈴木彦二郎

童女  今東光

同人雑記

 

③大正10年5月 第一巻第三号

定価40銭 52ページ

春淺し(外一篇)※  石濱金作

散髪  鈴木彦二郎

誕生會  今東光

滑稽久ニ  酒井眞人

同人雑記

※外一篇のタイトルは「日曜の朝」。

この号に川端先生の作品は掲載されていません。

 

④大正10年7月 第一巻第四号

定価30銭 50ページ

黄雀風  今東光

戀三十日  酒井眞人

油  川端康成

髪飾  石濱金作

同人雑記

 

大正11年3月 第二巻第一号

定価30銭 50ページ

※目次では「三月號」、奥付では「第壱號」の記載となっており「第ニ巻第一号」の表記はありませんが、日本近代文学館の蔵書検索での書誌情報に従いました。

一節  川端康成

雨  鈴木彦二郎

去就  石濱金作

姉の記憶  酒井眞人

肥後守  今東光

新思潮餘談

 

↑ここまで酒井先生が編集兼発行。本郷の文武堂から発売。

 

↓ここからは川端先生が編集。南天堂出版部から発行。

 

大正12年7月

定価40銭 117ページ

※発行が7月10日ですが、目次は「八月號」になっています。もしかしたら表紙(未入手)には「創刊號」の記載があるかもしれませんが、目次・奥付共に○巻○号の記載はありません。

天國  十一谷義三郎

法學士山崎の斷章  鈴木彦次郎

碑文  横光利一

お初  栗原潔子

夫人と畫家(戯曲)  岡本かの子

日本人  今東光

南方の火  川端康成

呪詛(ジヨン・シング)  中河幹子

五月に(ジヨン・シング)  中河幹子

樹木(ジヨイス・ヒルマア)  麻田ふじ

熱帯の月(エヴエリン・スコツト)  麻田ふじ

生へ(トウマス・ハアヂイ)  横山八重子

ユーラリイ歌(アラン・ポウ)  横山八重子

戀の舞踏(サロヂニ・ナイヅ)  水谷乙女

混詩(サロヂニ・ナイヅ)  水谷乙女

妄想  岡榮一郎

貧乏  石濱金作

出目草子ー示兒不利舎ー  今東光

「新思潮」の借金  菊池寛

 

大正12年10月

定価40銭 108ページ

※発行が10月1日で目次も「十月號」になっていますが、目次の隣の中表紙には「九月號」と書かれています。本来は9月に発売予定だったものが、関東大震災の為にズレたものと推測されます。また、目次・奥付共に○巻○号の記載はありません。

眞夏の里  佐藤惣之助

祝ひ  中河與一

貧しければ  大宅壯一

サタンの嘆き  南幸

小指  櫻田常久

陀羅尼落葉  今東光

太古禮讃  横光利一

海  小方又星

智慧  橋爪健

氷河  春山行夫

思想  春山行夫

入江  春山行夫

新進作家 文壇  片岡良一

交友記、戀愛記  石濱金作

新刊批評欄設置

 

以上が日本近代文学館に所蔵されている第六次『新思潮』の全号です。(皆勤賞は今東光先生と石濱金作先生ですね🙌⑥の石濱先生の随筆はたった1ページで、内容を見てもページ数合わせに慌てて書かされた感がめちゃくちゃありましたが…。)

ちなみに国立国会図書館には1冊も所蔵がありません。

神奈川近代文学館には、

③⑥⑦

のみ所蔵があります。

郵送複写サービスは両館とも行って下さっていますが、神奈川の方がコピー単価が安いので、もし欲しい資料が神奈川の方にあるようでしたらそちらに依頼された方が安価に取り寄せ出来る筈です。…石濱先生の「交友記、戀愛記」もです…orz

東京大学 大学院法学政治学研究科 附属近代日本法政史料センター (明治新聞雑誌文庫)にも所蔵があるようですが、OPACを確認すると多分⑥か⑦だけではないかと思います。

 

この第六次『新思潮』が、何号まで、いつまで発行されたかは、現時点では私にはよく分かりません。

しかし、恐らく雑誌の形態で発行された分は、日本近代文学館にほぼ全てがあるのではないかと思います。

 

酒井先生が編集兼発行の頃の分は本郷の文武堂から発売されていますが、「四号出た。」と昭和44年の川端康成展の図録には書かれていました。

しかし、日本近代文学館に所蔵されているものは⑤の分までありますので、多分⑤の号までは発行されて、⑥の南天堂発行分に移行するまで発行されなかったのでは無いかと思います。

また、④と⑤の間が結構空いているのは、⑤の奥付によると

美名を借りて云ふならば未熟なる藝道精進の為、率直に申さうならば物資困窮の為、休刊と云ふ可くは余りに長き七ヶ月をペン/\眷顧に背きしは何とも申し訳なし。

と言い訳されています。多分お金が無かったのでしょう。

 

川端先生の回想に『新思潮』について語られていたものがありましたので、川端視点での第六次『新思潮』の流れを見ておきたいと思います。

第六次は、(※第五次から)五年の時をおいて大正十二年四月、石濱金作、酒井眞人、今東光、鈴木彦次郎、川端康成五人によつて結成された。休刊の後十二年七月、発行所を南天堂において返り咲きの創刊号を出した(中略)

大正十三年新年号は、女流作家鷹野つぎの主人の手に移り、十六頁のパンフレツト形式を出した。(中略)

しかし、いづれもニ三号しか続かなかつた。

(「川端康成全集 第29巻」(新潮社、1982年)「新思潮派の人々」より)

結成年月が違っています(誤・大正十二年四月→正・大正十年二月)が、このような事情だったようです。

いづれもニ三号しか続かなかつた」ということは、南天堂から雑誌形式の物が2〜3号、パンフレット形式の物が2〜3号発行されたということだと思います。

ということで⑥⑦の2冊が上に書かれた雑誌形式で出た物とするなら"2〜3号"と一応合致していますので、日本近代文学館に雑誌形式のものはほぼ全て所蔵があるのではないかと思う次第です。

また、日本近代文学館所蔵の第六次『新思潮』は川端先生が寄贈されています(!)ので、紛失などが無ければ本当に全て揃っているのかもしれません。

f:id:naruminarum:20220508222427j:image

↑こんなにパワーのある寄贈印、なかなかお目にかかれませんよ…!!

 

鈴木彦次郎先生は「飛び飛びながら、大正13年の春ごろまで」続いたと回想しておられますので(「『新思潮』時代の川端康成」(『歴史と人物』中央公論社、1972年7月号)参照)、パンフレット形式の物は大正13年の新年と春頃(もしかしたらその間にもう1号)に出ているということになりそうです。

 

こちらのパンフレット形式の物は全く検索にヒットしない為、川端先生の回想以外には本当に詳細が不明です。

 

関東大震災があったり色々ゴタゴタした為、第六次『新思潮』としては刊行が終了し、初期メンバー5人全員が横光利一先生ら他の雑誌の作家と共にまず『文藝春秋』の同人となり、大正13年10月に『文藝時代』を発刊する運びとなったようです。彼らは「新感覚派」と呼ばれました。

新感覚派」の面々にもちょっとずつ興味が湧いていますが、まだまだ川端先生と石濱先生の周辺を調べるのに手一杯です。

ブログ始める前には「新感覚派」なんて誰一人として名前も知らなかったので、文学沼は面白いですけど恐ろしいです…😂

 

今回は今東光先生と酒井先生の回想(あるかどうかは不明)までは当たれませんでした。また何か分かったら追記したいと思います。

 

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