こんばんは!
本日11月11日は、川端康成先生「少年」に登場する清野少年のモデル・小笠原義人さんのお誕生日です🙌✨
小笠原さん、お誕生日おめでとうございます㊗️🎈🎂🎁🎉🎊
ということで(?)、急遽「少年」の二次創作漫画を描いてみました。
「少年」を未読だったり、ブログ記事の前のナンバリングをご覧になっていない方は、ご覧になっていただいてから是非お読み下さい。
前のナンバリングはこちらに収納↓
以下、ほのぼのですが、BL漫画です。お気をつけ下さい。
《ご注意》
・漫画のエピソードはフィクションです。
・年齢制限はありませんが、BLです。
・ペン入れをしていないので、仕上がりがガッカリです。恥ずかしいのであまり拡大して見ないで下さい。
・管理人は関西人ではないので、セリフは標準語です。
・一応、無断転載はおやめください。自分の知らない所に広まったら、恥ずかし過ぎて管理人がタヒにます。
では、どうぞ〜🙇♀️
以上です!ご覧にいただき、本当にありがとうございます🙇♀️
以下、順に小ネタを解説したいと思います。
①大正5年11月11日土曜日
清野少年のモデル・小笠原義人氏の誕生日。明治33年生。(林武志「『伊豆の踊子』成立考」『川端康成研究』(桜楓社、1976年))
調べてみたら、大正5年は土曜日でした。土曜日ですが、「帰省は月に一度、第四日曜日と決まっており、願い出た者のみ前日の土曜日から帰宅が許された。」(「茨木高校百年史」(大阪府立茨木高等学校校史編纂委員会、1995年) )とありますので、川端先生も清野少年も帰省せずに寄宿舎に居た筈です。
②服を畳む清野少年
「心ばかりでなく、しぐさにも女が多かつた。
私が脱ぎ散らかした着物をいつのまにか正しく
たたんで行李に片付けておく。」(「少年」)
③誕生日
現代のように誕生日を祝う風習は当時は無かったと思われますので、完全にフィクションです。
④「幸福なお若い燕さん」
「大正五年 ノートニ」(「川端康成全集 補巻一」(新潮社、1984年))に登場する文。「小笠原義人に」と併せて書かれています。大正5年のいつ書かれたものなのか、また小笠原氏にこのような形で送ったのかは不明です。
⑤広い部屋
茨木中学の寄宿舎の寝室は「四二畳の畳敷」でした。(「茨木高校百年史」)
⑥布団の配置
左から、川端、清野、小泉、杉山。
「ふとほの暗いうちに目覚めて、温い清野の腕をにぎつた。私の左の腕の片面すべてに温みが清野の皮膚から流れてゐるのを感じた。」(「少年」)とあるので、川端先生の左隣に清野少年の布団がある筈です。
杉山は夜尿症がある為、離れています。(「夜なども一人離れて床をとらすのは気の毒だが、」(大正5年7月5日「當用日記」))離れて床を取っていますが、「僕の室が始まつた時から、垣内と杉山は僕の隣に寝るのを避けた。」(「少年」)とあるので川端先生の右隣の離れた場所では無いことが分かります。
「杉山の可哀想な悪習だが、杉山の隣に床を取つてゐる小泉に気の毒である。」(「少年」)とあるので小泉はこの位置になります。
杉山不在時に「右に清野、左に小泉の腕を擁して眠る。」(「少年」)とありますので、たまには違う場所で寝ていたようです。
⑦夏に怖い話
「丑の時参り其他神秘な恐ろしい話に落ちてゆく。小笠原ビクビクする。神秘主義やら心霊学の端くれを話す。便所に行つて帰ると宮田白い衣に白い眼で立つ。小笠原キヤツと云つて俺の肩につかまる。」(大正5年7月2日「當用日記」)この時に小笠原さんの手を握って寝た、という部分はフィクションです。
⑧11月23日の10日前
二人が親密になった出来事が11月13日くらいに起こったんだな〜とかぼんやり思って、今回の話を思い付きました。
これで小ネタ解説も終わりです。
お目汚し失礼いたしました!🙇♀️
次の「少年」ネタは垣内について書きたいと思います。
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