うみなりブログ。

アラフォー腐女子が、BL要素のある文学作品をイラスト付きでゆるく紹介します。日本近現代文学が中心。BL・同性愛的な表現が苦手な方はお気をつけ下さい。

「湯ヶ島での思い出」の「大学の友人」(川端康成「少年」㉘)

今年も川端康成先生の命日が過ぎました。

もう半袖で過ごしたいくらい暑い日もありますが、川端先生が亡くなった頃にはどのような気候だったのかな、などと思いを馳せています。いつかお墓参りにも行ってみたいです。

 

 

さて、川端康成先生の「少年」https://amzn.to/3Um2n2sの本編の内容には全く影響しないことで、また判明したことが一つありますので書きたいと思います。

 

初めてこのブログをご覧になった方は記事タイトルの「㉘」に目を疑ったかもしれませんが、「少年」関連記事は①から㉗まで本当に書いていますので、宜しければこちらから遡ってご覧いただければと思います。

川端康成関連インデックス - うみなりブログ。

 

突然ですが、とうとう同人誌を作成する決意をしましたので、9月に開催される「文学フリマ大阪」に申し込んでみました。申し込みが遅くて抽選になってしまいましたので、無事に当選したら再度アナウンスしますが、当選してもしなくても、当ブログの「少年」関連記事をまとめた同人誌を作る予定です。

金額やページ数含めてまだ色々未定ですが、boothで通販もしたい(むしろ通販がメイン)と思いますので宜しくお願い致します。

同人誌を出した後も「少年」関連ブログ記事は特に非公開にしたりはしませんが、同人誌用にめっちゃ加筆修正する予定です。加筆した分だけで、登場人物と年表が当ブログ換算で+3記事ずつくらい増えそうな勢いで、時間を見つけては色々書いています。

面倒なので今のところは特にブログを修正したりはしない予定です。気になる方は良かったら買ってね!!(ダイレクトマーケティング)

 

それに関連して、登場人物・関連人物を「少年」の1ページ目から全員拾う作業を現在繰り広げているのですが、新たに判明したことがありますので同人誌の宣伝がてら記事にした次第でございます。

判明したからと言って、「少年」の本編には全く影響しない人物です。別に永久に判明しなくても「少年」を読むには全く問題ありません。

判明したことが嬉しくて完全に自己満足で書いているだけなので、引き続きお付き合い下さる方は猫の頭でも撫でながら適当に読んで下さい。え?猫は居ない?それは困りましたねぇ…(某作家さんのラジオ番組のCMを意識)

 

新潮文庫の「少年」をお持ちの方はp.55を、文庫が出たにも関わらず旧字旧仮名で「少年」を味わい続けるナイスガイは「川端康成全集 第10巻」(新潮社)のp.181を開いて下さい。

 

夕飯の後で、新橋の呉服屋の息子というのが私の部屋へ話しに来た。私は暗くなるまで散歩をして、帰って新聞を読んでいるところだった。その新聞に大学の友人が初めての文芸時評を書いている。(川端康成「少年」(新潮文庫)p.55)

 

という文章があります。

この「新橋の呉服屋の息子」を特定……出来ませんでしたが、「大学の友人」は特定が出来ました。

 

とりあえず結論を先に書きますが、この「大学の友人」は石濱金作先生です。

 

石濱金作先生は、川端康成先生が第一高等学校の一年生の時からの親友で、一緒に第六次『新思潮』や『文藝時代』を作った新感覚派作家です。詳しくは当ブログで不定期連載みたいになっている「川端康成と石濱金作」をご覧ください。(ネタは色々あるので、そろそろ⑪を書きたいです…)

 

当ブログとX(旧Twitter)では私からのストーカー被害を受けていることでお馴染みの石濱先生ですが、川端先生の大学時代の友達として脳内で真っ先に変換されるからと言って適当に結びつけた訳ではなく、調べていて確証が持てたのでこのような記事にした次第です。

 

まず、上に引用した文は「湯ヶ島での思い出」から引用したものとされています。 現在では「湯ヶ島での思い出」という作品自体は残っていないそうなので、「伊豆の踊子」と「少年」に引用された文章が読者が知り得る全てとなります。

さて、「湯ヶ島での思い出」は具体的にはいつ書かれたのか。時期に関連する箇所をまとめて抜き出します。

 

湯ヶ島での思い出」を書いたのは二十四歳で大正十一年(川端康成「少年」(新潮文庫)p.35)

 

「私は湯ヶ島の春を知っている。秋も冬も知っている。しかし夏だけは知らなかった。それが今年は夏の盛りを湯ヶ島で凌ごうとしている。七月の末日に……。」(同p.35)

 

ーーこの書き出しで、七月の終わりか八月の初めに「湯ヶ島での思い出」を書いたことが知れる。(同p.36)

 

このところまで書いていると、女中が新しい浴衣を持って部屋に来た。私が着いてから五日目である。(同p.44)

 

以上の部分をまとめると、大正11年7月末日頃を起点として「湯ヶ島での思い出」が書かれていたのではないかと推察されます。

"大学の友人が初めて書いた文芸時評が載っている新聞を読んでいる日"は、「私」が着いてから五日目の8月上旬頃となりそうです。

 

ん?大正11年8月…?

 

思い当たることがあったので、自作の石濱金作・著作リスト を開きます。

 

丁度この辺りで、石濱先生が書いた初めての評論だと思われる

「八月の創作評(1)『暗夜行路』其他」

が何処かの新聞に掲載されています。

私が調べた限りですが、石濱先生はこれ以前には第六次『新思潮』に小説しか書いておらず、評論が出てくるのはこれ以降の時期となっています。(もしこれ以前の評論をご存じの方がいたら是非とも教えて下さい。)

ただ、この評論のタイトルは把握していたものの掲載された具体的な日付や新聞が特定出来ていなかった為 (※現在は修正済)、国立国会図書館デジタルコレクションで検索します。


現代日本文学大年表 大正編」(明治書院、1969年) の大正11年7月のページに、

八月の創作評 (石濱金作、時事新報) 28〜30日

と掲載されています。

大正11年7/28〜30なら川端先生の「湯ヶ島での思い出」と見事に時期が合っています!🙌わーい!🙌

 

しかし、「八月の創作評」なのに7月に掲載されている…?

 

違和感を感じたので、更に調べました。

同じく国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧出来る「新聞集成大正編年史 大正11年度版 中」 (明治大正昭和新聞研究会、1984年)に28〜30日のうち28日分だけ本文が掲載されているのですが、こちらに「7・28 時事」の文字があることを確認しました。

https://dl.ndl.go.jp/pid/12229214/1/445

国立国会図書館に本登録済みでログイン出来る方なら記事の本文が読めます。

 

念の為、先程の「現代日本文学大年表 大正編」で他に7月下旬〜8月上旬までの新聞に掲載された文芸時評を確認します。同じく「時事新報」に今東光先生が 7月21〜23日に書いていることが分かりましたが、今東光先生は「大学の友人」では無いので合致しません。

 

この期間に「新聞」に「文芸時評」を書いているが、川端先生の「大学の友人」かどうか不明な人達。

・小嶋徳彌→早稲田大学中退。

・伊福部隆輝→他の人には学歴が書かれている「文藝年鑑」に学歴が未記載。

 

という感じで、「少年」文庫p.55の「大学の友人」は石濱金作先生で間違いないと思います!🙌

ついでに石濱著作リストの不明だった箇所も埋められましたよ!🙌

なんで「八月の創作評」が7月に掲載されているのかは全く分からないけれども、とりあえず、やったー!🙌

 

多分、石濱先生が湯ヶ島の旅館まで手紙(と多分「時事新報」の本紙)を送って知らせたか、出発する直前に知らせたのでしょうね…(*´-`)やっぱりなかよしでとてもよいですね…(*´-`)

 

ということで、「少年」には1mmも登場していないと思われた石濱金作先生が、1mmくらいは「少年」に関係していることが判明しましたので、とても満足しています。

こんな感じの、人生には1mmも役に立たない情報が満載の「少年」同人誌は2024年9月くらいに出したいと思っています。おわり。

 

 

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