うみなりブログ。

アラフォー腐女子が、BL要素のある文学作品をイラスト付きでゆるく紹介します。日本近現代文学が中心。BL・同性愛的な表現が苦手な方はお気をつけ下さい。

川端康成「當用日記」④ (川端康成「少年」⑪)

最近、川端康成先生の中学生の時の日記をストーカーのように読み漁っていますが、「少年」に関連する所以外にも色々面白い記述がありましたので、ちょっとご紹介。大正4年3月に寄宿舎に入った後からです。句読点はこちらで付けて、旧漢字も現在のものに改めてあります。

「少年」の前の記事↓

川端康成「少年」の清野少年の写真 - うみなりブログ。

4.3.25(木)

昨夜は何だか万年筆が気になつて寝られぬ。私は本實(※当?)に感情の子だと思ひ、又案外可愛らしいわいと思つた。

※可愛いと自分で書いてしまう、可愛い川端先生。

4.4.20(火)

数種の体操とランニング行進。私はランニングはよい加減にごまかしておいた。後で苦しい。足がだるい。これはよい口実を得たと思つて昼食の時間杉本先生の所に行つて「此度の運動会休ましとくなはれ」「よし、体操は出来るか」「いええ(※いいえ?)、今日等でも後で鼓動が不規則で胸がおさへつけられるやうで苦しうまんねん」「よし、而し運動会の日は来て見学せないかんで」これで先安心して運動会が待てる。

※ランニングを適当に行った挙句、運動会をまんまとズル休みすることに成功した川端先生。

4.4.25(日)

いよいよ運動会。さぞ血は湧いてゐるだらうが私は先見物ときまつたので先安心。

※無事に運動会をサボれました。

4.4.27(火)

五時間目郊外写生。平松井上君と正門から出て足立に行きバナナ等求めてゆく。写生しつつぬすみ食。自分もやはり若かつたのだ。

※可愛い川端先生パート2。この「足立」がよく出てくるんですが、中学の近くにあったお店なのかな?

5.1.10(月)

化学、大きなあくびを先生にみられてきまり悪さうに先生の顔見返す。四時間目体操、末藤君と失敬して弁当食つて机による。見附けられもすまいと思ふ。

※可愛い川端先生パート3。

5.1.25(火)

俺は何故こんなに頭が悪いのか知らん。全くぼんやりしてゐて何も手につかない。

※一高に一発合格する人でもこんな風に思ってたんだな…。

(略)

これまで俺は私と云ふ字以外に使はない意だつたけれど、近頃俺は俺と云ふ字が大変使いたくなつた。使たくなくなるまで使ひ続ける意である。

中二病チックで微笑ましい。

5.2.17(木)

体操高槻の工兵隊から参観あり。ぬける。末藤君の在褥と落合ふ。お前ほどずぼらはないといふ。有名だと云ふ。お前のずるいのは皆知つてるといふ。私は陰気な私の性質を反省させられた。

※バレてる!バレてるよ!体操をよくサボっているのが皆にも丸わかりだったようです。

5.2.22(火)

昨夜は「粉雪ふる夕(※夜)」に費して皆な血眼になつてゐる化学も冷遇されてゐる。今朝となつてみると中々尋常の勝負では切りぬけそうもない。(略)到底覚える見込みなくカンニングペーパーの製法にかかる。

※創作活動にうつつを抜かして試験勉強がおろそかになりカンニングペーパーを作ったものの、翌日の試験では結局役に立たなかった模様です。3月下旬にも化学のカンニングペーパーを作った記述がありました。化学が苦手だったようですね。

これらの日記を見てると、川端先生も普通の中学生だったんだなとよく分かります。体育や術科をよくサボっています。あと川端先生はとりあえず友達が多く、誰かと何をしたという記述がとても多いです。一緒に寮生活を送っていた同級生は10人くらいだったみたいですが、これだけ友達が居たら寮生活も楽しかったんだろうな〜。

↓あと清野少年に出会う前の、同級生に対する淡い思慕の記述。「少年」でもそうでしたが、気が多いです。

4.1.10(日)

待ちわびた正野君からの返信来る。大分長々種々と書いてあつた。友情が溢れてゐた。私は君を女として私の恋人として何回も夢想した。

※正野君=正野勇次郎さん。正野さんを恋人と書いている日記が他にもありました。

大正四年「ノート 一」より

6.8

田村俊子さんの同性の恋をよみました時、男にもこれはあるのですと思ひました。私にもはげしくこれを覚えました。最初はHで次はSでした。殊にSに対するものは欲も交つてゐまして極々熱いものでした。

6.9

もし女だつたら抱擁しようと思ふのは私のSの体にしたいのです。(略)化学  Sの横顔を見てゐます。わなわなと細い美しい小指にわななく私の心にはSにラブレーターの原稿まで作つたり、秋のさびしい夕に茨木のプラツトホームでたへきれなくもだえてSを待つたのがまざまざと心に呼び起します。

※Hさんはわかりませんが、このSさんも正野勇次郎さんだと思います。

大正四年 「手帖(Pocket Diary)」より

[私のアイドルなるKさん]私は前々からあなたの賛美者でした。私の寄宿舎に入るといふのもあなたと親しめるといふことがどれだけ大きな歓喜であつたかもしれません。

※Kさん=片岡重治さん。

5.2.4(金)「當用日記」より

一時は同性の恋の熱を高めた正野にも漸くあきたらなくなつて貞ちあんのみ心を占領してゐる。こうした変り易い心かと自らあやぶむ時もあるのである。今でこそ貞ちあんには美はしき幻影はあれ文藝にも理解なく思想の差異もある彼女との間には溝の起るのがみえすくやうである。

※正野勇次郎さんから貞ちゃんという女性へ気持ちが移った模様。貞ちゃん=貞子さんは、母の妹の婚家先、秋岡義一さん(つまり叔父さん)の妾腹の娘さんだそうです。(小谷野敦先生「川端康成伝 双面の人」(中央公論新社)参照)

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↑日記はこんな感じで載ってます。旧漢字さえ読めれば普通に読めると思いますので、興味のある方は「川端康成全集 補巻一」(新潮社、1999年版)を是非探してみて下さい。収録されている最初の方の日記にはおじいさんも出てきますので、「十六歳の日記」が好きな方にもオススメです。

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