うみなりブログ。

アラフォー腐女子が、BL要素のある文学作品をイラスト付きでゆるく紹介します。日本近現代文学が中心。BL・同性愛的な表現が苦手な方はお気をつけ下さい。

川端康成「少年」時系列(※追記あり)(「少年」④)

川端康成先生「少年」の4回目の記事です。

前の記事↓

川端康成「少年」の登場人物(相関図付き) - うみなりブログ。

気が付いたら「給仕の室」並に記事が増えましたね。「少年」は元々のページ数が多いし、川端先生は関連書籍が充実しているので色々捗るのです。さすがノーベル賞作家。ということでしばらくは「少年」関連の記事がまだ続きそうです。

さて、「少年」内では急に過去の話に戻ったりする為、時系列が混乱してきたので備忘録として纏めます。

川端先生の「少年」に関係する略歴のみ書いてあります。年齢は「少年」に記載されていたものですので、数え年だと思います。

清野少年の年齢は「少年」内で大正5年に16歳とされていましたが、清野少年を調べた研究者の方が明治33年生まれで川端先生より一つ下だと書いていましたのでそちらに従いました。

大正4年/17歳(4年)・清野16歳(病気で一年休学とか、落第した等あるのでこの時も2年?

→※追記・清野は大正3年に茨木中に入学、大正4年10月家庭の事情と病気の為休学、大正5年に第2年学年に復学。林武志「川端康成研究」(桜楓社、1976年)より)

3月

寄宿舎に入る。

○大正5年/18歳(5年)・清野17歳(2年)

4月

寄宿舎で室長になり、清野少年と同室になる。

7月

室員の垣内が退学。その後に小泉が室員となる。(何月かは不明だが、夏休み明けの9月と予想)

※「當用日記」の大正五年の分はこの月までで終了。

9月

日記再開〜1月まで(「少年」に転記されてる分)。

11月13日頃

清野少年と深い仲になる。以降卒業まで約5ヶ月間この関係が続く。

大正6年/19歳・清野18歳(3年)

3月

卒業。東京へ。

9月

第一高等学校へ入学。

10月

石濱金作と親しくなる。(※追記)

大正7年/20歳・清野19歳(4年)

2月

例の31枚の作文ラブレターを書くきっかけとなる作文の宿題が出る。(※追記・「川端康成全集 補巻一」(新潮社、1984年)より)

3月

作文を今井彦三郎教授が教室で披露。(※追記・長谷川泉「川端康成論考」(明治書院、1991年)より)

7月

中学の寄宿舎に清野少年を訪ねて泊まる。

石濱金作へ「石濱が女だったら、結婚して一生を共に暮らしたい」という内容の手紙を出す。(※追記・石濱金作「無常迅速ー青春修行記」(『文藝読物』、1950年)より)

10月〜11月

伊豆へ。

大正8年/21歳・清野20歳(5年)

嵯峨に清野少年を訪ねるが会えず。

伊藤初代と出会う。(※追記)

○大正9月/22歳・清野21歳(中学卒業)

7月

第一高等学校を卒業。

8月

嵯峨に清野少年を訪ねる。会うのはこれで最後となる。

9月

東京帝国大学に入学。

12月

清野少年、一年志願兵制度で野砲二十二連隊に入隊。(※追記・林武志「川端康成研究」(桜楓社、1976年)より)

○大正10年/23歳・清野22歳

清野少年、兵役中。この間手紙のやり取りはなし。(※追記・林武志「川端康成研究」(桜楓社、1976年)より)

11月

伊藤初代と破局。(※追記)

大正11年/24歳・清野23歳

3月

清野少年、召集解除。(※追記・林武志「川端康成研究」(桜楓社、1976年)より)

湯ヶ島の思ひ出」を執筆。

10月

「少年」内の清野少年からの最後の手紙。

大正12年/25歳・清野24歳

1月

清野少年からの年賀状。(※追記・「川端康成全集 補巻一」(新潮社、1984年)より)

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大正10年に兵役行ってるなら、こんな感じの軍服を着てたと思われます。

通常の徴兵は2年らしいので、1年だけ兵役行ってるっていうのがちょっと謎なのですが、徴兵についてはややこしすぎて良く分からなかったです。

(※追記)

と書きましたが、林武志先生の「川端康成研究」(桜楓社、1976年)のおかげで色々判明しました。林先生は神です!

あと、最初に書いた時より色々判明しましたので他にも追記しました。

石濱金作とか急に出てきて誰やねん!な方はこちら↓

石濱金作「無常迅速ー青春修行記」①(川端康成と石濱金作②) - うみなりブログ。

 

次の記事↓

川端康成「當用日記」① - うみなりブログ。

 

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